著名者インタビュー
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 2000/11
IT時代の新たな企業戦略ツール“CRM”


国際大学
グローバル・コミュニケーション・センター教授
青柳 武彦氏
1934年、群馬県生まれ。
58年東京大学経済学部卒後、伊藤忠商事入社。
太平洋シドニー店食品部長、東京本社食品部長などを経て伊藤忠システム開発取締役システム開発本部長、日本テレマティーク代表取締役社長を歴任。
95年から国際大学グローバル・コミュニケーション・センター副所長兼教授に。
 
著書に「ビジネス・パソコン通信入門」(日本能率協会)「ネットワーク戦略」(日本経営協会)「2005年日本浮上」(共著・NTT出版)など。

 
 IT時代の新たな企業戦略ツール“CRM”
 インターネットの普及とともに、顧客に対してダイレクトに商品やサービスを提供するワン・ツー・ワン・ビジネスが隆盛の勢いです。これにより、消費者のニーズはますます多様化・個性化の一途をたどり、従来のメーカー主導型の市場は完全に駆逐される一方で、顧客主導型の市場が創造されつつあります。こうしたなか、新たなビジネス手法として最近にわかに脚光を浴びてきているのがCRM(Customer Relationship Management)です。そこで今回は、その特徴や導入事例、さらには今後の課題を指摘することで、IT時代における企業戦略上の強力なツールと成り得るのか、考えていくことにします。

 顧客シェアを高めるという発想が大切
 CRMとは平たくいえば「顧客関係に重点を置いた経営を行う」という意味です。その点ではこれまであった顧客重視主義の延長線上にあるもので、特に目新しい概念ではないといえなくもありません。しかし、市場構造が大きく変化しつつあるネット時代において成功するためには、従来とはまた違った発想で顧客重視戦略を展開する必要性が生じてくるというのも事実です。それは何か、具体的に見ていくことにしましょう。

 CRMの考え方としてまず大切なのは市場シェアだけでなく、顧客シェアを高める努力をするということです。顧客シェアとはある顧客の購買中に占める自社製品の割合のことで、これを向上させることが戦略上の要諦となります。そのためには個々の顧客との理想的な関係を構築し、満足度を高めるよう尽力しなければなりません。さらにこれをステップとして、顧客が生涯にわたって自社にもたらしてくれる可能性のある価値、すなわちLTV(Life Time Value=生涯価値)を最大限に引き出すことも重要課題となってきます。いやむしろ、製品開発、マーケティング、営業、サービスなどすべての企業活動はここに基軸を置いて動かすべきだといっても過言ではありません。

 そこで必要になってくるのがインターネットをベースとした情報インフラの整備です。ワン・ツー・ワン・マーケティングの展開など個別の顧客情報を収集・分析し、管理するには最適のシステムといえます。POSなど従来の手法では収集できなかった消費者情報がインターネットでは容易に手に入れることができるのです。CRMというビジネスモデルが成立するゆえんはそこにあるといってもいいでしょう。例えばプリマハムのリカちゃん人形やニコンのテレスコマイクロ(デジタルカメラ用レンズ)などのキャンペーンが成功したのも、インターネットを通じて集めた消費者情報を活用したからにほかならないのです。したがって、CRM成否の鍵はインターネットを中心とした情報環境の充実にかかっているといえるでしょう。

 CRMの姿勢を選択して成功呼び込んだアスクル
 とはいえ、CRMを企業戦略として展開していくうえで厄介な問題もあります。なぜなら、CRMの価値体系のもとにほかの経営上の価値体系はすべて従属させることになるからです。つまりCRM戦略とはこれまで培ってきた固有の技術、生産性や作業効率といった価値体系を廃止あるいは組み直して顧客優先主義の経営に切り替えられることにほかならないのです。それが果たしてできるかどうか、現実的には難しい側面があるのは確かでしょう。

 しかしここに一つの示唆に富む事例としてアスクルのケースを示すことにします。同社は文具メーカーであるプラスの通販部門として発足した会社ですが、「お客様のために進化する」というCRM戦略を掲げて事業に取り組んでいったところ、インターネット経由での受注比率が自然と伸びていったのです。それにともない、頭の痛い問題が発生してきました。親会社のプラス以外の商品へのニーズが高まってきたのです。当然、プラス商品の販売拡大がアスクルの使命でしたから、それと真正面から衝突する価値体系が生じ、アスクルを大いに悩ませることになったわけです。しかし結果としてCRMの姿勢を貫き、顧客へのサービス改善を優先させました。それが同社の今日の地位を築かせる大きな要因となったというわけです。

 もちろんCRMを選択するかどうかは経営上のセンシティブな問題であり、必ずしも成功を呼び込む方程式であるとは限りません。ただし、競争が激烈化の一途をたどっているIT時代を生き抜くための強力な企業戦略の一つであることは間違いがないといえます。かつて旧国鉄の手荷物業務が撤退を余儀なくされたのも、顧客サービスをないがしろにして殿様商売を繰り広げていたからにほかなりません。CRM不在のところにビジネスは成立しない−−旧国鉄の失敗はそのことを雄弁に物語っているといえるでしょう。

 事業モデルの変革で業界トップをうかがう日立建機
 それではCRM戦略を率先して取り込んで成功を収めている企業事例を具体的に見ていくことにしましょう。
国内で真っ先に挙げたいのが日立建機のケースです。同社は建設機器の製造・販売・リース事業を展開する日立製作所グループの関連会社で、最近の「日本企業のIT経営度総合ランキング」で第2位になったほど、その躍進ぶりには目覚ましいものがあります。躍進の原動力となったのは米国のベンチャー企業であるファイヤー・ポンド社が開発した受注生産システムの導入にあります。これにより、事業モデルを大胆に変革し、「ご希望のパワーショベルをつくります」というCRMによる経営が可能になったのです。

 例えば、この受注生産方式でパワーショベルを注文したとします。顧客はまず、馬力やアームの長さ、バケットの大きさなど希望のスペックを営業マンが持参したパソコンに入力します。そうすると、組み合わせ可能な部品とその仕様が画面に呼び出され、そのなかから顧客は自由に選ぶことができるという仕組み。さらに選択した組み合わせによる製品の完成イメージまで表示されるというから徹底したサービスぶりなのです。しかし驚くのはこれだけではありません。納期も実にスピーディーです。発注して4日後にはカストマイズド建機として届けられるというから顧客にとってはまことに重宝なシステムといえるでしょう。
まさにCRM戦略のよきお手本といっても過言ではありません。この方式を取り入れて以降、日立建機の実際の業績も急上昇中で、2000年度の国内シェアはすでに30%に達しています。

 徹底した顧客優先主義を貫いたシスコ社
 世界に目を向けると、一段とスケールアップしたCRM戦略で成功を収めている企業が存在しています。米国の通信機器メーカー、シスコ・システムズもその好例でしょう。つい最近になってIBMと業務提携したものの、それまではシスコ社はIBMを反面教師に事業を展開、その結果として選択したのがCRMだったのです。それはどういうことか、以下に説明します。

 IBMは市場の動向や技術の将来性を常に考えて事業に取り組もうということで「Think!」というキーワードを社是に掲げて企業戦略を進めていました。これに対してシスコ社の社訓は「Listen!」、すなわち「市場の動向や技術の将来性を考えても意味がない。企業戦略の方向性を決めるのは顧客だ。だからその声を聞け!」ということをモットーに事業を展開したわけです。顧客は常に正しいわけではないから、リスクがないわけではない。けれども、少なくとも自分たちで考えるよりもリスクははるかに少ない−−シスコ社はそう考えた。徹底した顧客重視の発想で、これが同社のCRM戦略の起点となったというわけです。急成長のきっかけとなった93年のクレセンド・コミュニケーションの買収もその戦略の延長線上にありました。このとき、同社の大得意先であったボーイング社がシスコ社には無理だからといって1000万ドルの仕事をクレセンド社に発注しようとしていたのです。この動きを察知したシスコ社は顧客の要望には応えるべきとして、あっさりクレセンド社を買収、そのビッグビジネスを掌中に収めることとなりました。

 このように、シスコ社は自社のスペシャリティーやプライドには全然拘泥していません。むしろそれをかなぐり捨て非常にラジカルな手法を用いてまでも、顧客優先主義を貫こうとする姿勢が見受けられます。なかなか真似のできない離れ業ですが、そのスタンスが間違っていなかったことは今日の同社の繁栄ぶりを見ても明らかです。売上げだけ見ても2000年度は200億ドルに迫る勢いで、同業他社が50億ドル以下にひしめき合っているのとは好対照をなしているといえます。資産の時価総額も1000億ドルを優に超え、ナスダックではマイクロソフト、インテルに次ぐ地位を誇っているのです。これはNTTやトヨタ自動車を凌ぐ額で同社の隆盛ぶりを示す格好の指標となっているといえます。

 誰がリードユーザーかを見極めるのも肝心
 CRMにおける国内外の代表的な成功事例を見てきましたが、前述したようにCRMも万能ではありません。顧客に満足を与えてさえいれば企業は繁栄するかというと、必ずしもそうとは限らないのです。なぜなら顧客は浮気なもので、しかも常に先見性があるわけではないので、盲従するとミスリードされる恐れがあるからです。したがって誰がリードユーザーであるか、あるいは自社に多大な利益をもたらしてくれるロイヤルカスタマーであるかを見極めながら、戦略を推進する必要があるといえます。

 またCRMに固執するあまり、これまで社内に蓄え込んできた重要な経営資源を軽視するのも考えものです。激動の時代における新しい経営パラダイムを構築していくなかでは自社の得意分野に資源を集中させることこそが肝心といえます。まずは広い視野で何をやるかやらないかを明確にすべきでしょう。そのうえで一つの選択肢としてCRM戦略に着手する−−それが理想的な展開スタイルではないでしょうか。