著名者インタビュー
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2004/11-12
宇宙を目指す夢を掲げ
〜若者が集う魅力あるモノづくりの世界をつくる〜


株式会社アオキ社長/東大阪宇宙開発協同組合理事長
青木 豊彦

1945年大阪生まれ。高校卒業後父親が経営する青木鉄工所に入社。95年社名をアオキに変更して2代目社長に就任。97年には優れた技術力が認められて国内では数少ない米ボーイング社の認定工場となる。02年12月には東大阪宇宙開発協同組合を設立、理事長に就任して05年度の人工衛星打ち上げを目指す。

 宇宙を目指す夢を掲げ
 〜若者が集う魅力あるモノづくりの世界をつくる〜

 2005年度中に人工衛星を打ち上げる…夢にみちた構想が東大阪の町工場から飛び出し、日本の中小製造業に希望を与えています。人工衛星の名は「まいど1号」。関西らしいユニークなネーミングも注目の的です。

 戦後、欧米を激しく追い上げた日本の製造業もいまは中国などアジアの猛追を受ける状況にありますが、「逆境と戦うところに成長はある」というのが青木豊彦社長の持論。アオキは米ボーイング社の認定を受け、航空機の部品加工を手がけるだけに、人工衛星に夢を託して東大阪を回生させようというのが青木社長の構想です。人工衛星打ち上げプロジェクトの中心的存在として賛同する多くの力を結集し、町工場から宇宙へとつながる夢の実現を目指しています。今回は、人工衛星の打ち上げを来年に控えた青木氏にその経緯と目的を語っていただきました。

 町工場の力で人工衛星を打ち上げる
 中小企業の街・東大阪市は工場集積率で全国ナンバーワンを誇っています。工場群は高度で多彩な技術を持つことから、「歯ブラシからロケット部品まで」というのがキャッチフレーズ。

 しかしながらかつては元気だった東大阪も、長引く不況や産業の空洞化の影響を受け、ピーク時には1万2000社あった工場が8000社を割っている現状です。若者たちのモノづくり離れが進み、貴重な技術が次の世代に継承されないまま、職人たちの平均年齢も年々上昇しています。このままでは日本が世界に誇る匠の技が滅亡してしまう。そんな心配もあながち的外れではないのが現実なのです。

 ところが一方で不思議なのは若者の失業率が高いこと。東大阪ではここ数年で最も高いときには14%もあったほどです。こちらは人手不足で悩んでいるのに若者は仕事にも就かずにブラブラしている。なぜ、こうしたミスマッチ現象が起こるのか。やはり若者に対して魅力あるモノづくりの環境が整備されていないからです。

 であれば具体的にどうしたらいいのか、そんな思いを抱いていたある日、頭に浮かんだのが小学生の頃から個人的に抱き続けてきた宇宙への夢でした。3Kのイメージから製造業を避けてきた若者たちも宇宙の話には目を輝かせます。それでは宇宙関連産業を東大阪の地場産業にしようと…。「よっしゃ、これならいける」と直感して早速、宇宙工学の専門家のところに相談に行きました。

 最初はロケットの開発しか頭になかったものですから、その話を切り出すと、専門家の先生は「いくら何でもロケットは無理でしょう。コストがかかりすぎる。でも小型衛星ならできるかも」といわれました。ロケットからいきなり小型衛星の話になりましたがガッカリはしません。そういわれたら、「じゃあ、衛星にしようか」ということになった。すぐに方針転換できるのが、中小企業のいいところですからね。

 わずか50cm角で開発費は何と12億円
 異業種交流の仲間が集まっていよいよプロジェクトが動き出します。ところがわれわれはモノづくりは得意ですが、宇宙のことは何もわかっていない。仲間と衛星の話をしても、いつの間にか世間話になってしまいます。「儲かってまっか」「ボチボチでんな」などといった会話が飛び交い、一杯飲んだら終わりというのがパターンとなってしまうのが落ち。

 そんなときに待ちに待った若者たちが次々と集まるようになってきたのです。なかには大学院で学んだ若者も何人かいました。彼らの凄いところはわれわれが大の苦手のパソコンやインターネットを使いこなし、語学に優れていることです。これを活用しない手はありません。

 そこで若手のなかから選抜して小型衛星の需要はどうか、どんな機関と組めばいいのかを調査してもらうために、一昨年10月に米ヒューストンで開かれた宇宙関係者の大会に派遣したのです。彼らは何と小型衛星の研究では世界最高水準の英サリー大学の教授にアタック。最初は相手にされなかったものの、「職人魂で宇宙を拓きたい」と切り出すと、面白いと関心を寄せてもらったのです。素晴らしい度胸と機転ですよ、これは。それで帰国後は教授と毎日メールのやり取りを続け、アドバイスを受けるようになったのです。

 それにしても問題は金。わずか50cm角、重さ20〜50kgの小型衛星の開発コストが12億円ほどもかかるのです。東大阪の技術でつくって、打ち上げは政府系研究機関のロケットの空いた部分に搭載してもらうとしても、それだけの費用負担は避けられない。気前のいい地元自治体や篤志家の協力もあったのですが、それでも足りない。そこで政府系機関に資金を援助してもらうことにしたのです。審査はけっこうきつかったのですが、何とか委託費として支援してもらえそうになりました(2003年10月に正式決定される)。

 こうして資金面での心配もなくなり、東大阪でも高い技術力を誇る企業が集結、晴れて東大阪宇宙開発協同組合が設立されたのです。2002年12月のことでした。

 1号機は教育向けに検討中、線香花火で終わらせたくない
 それからは問題の焦点が何に使うかに移っていきました。ビジネスチャンスですからね。どんなサービスを提供できるか議論を重ねたのです。

 1号機の用途としては、衛星から撮影した宇宙の画像を小中学校の生徒が見ることができる教育衛星を検討中です。これを進めながら、2号、3号機のミッション(役割)を同時に考えていきます。通信衛星で救急車と病院を結ぶのもいいですね。医師の指導を受けながら車内で治療できれば、救命率も上がります。

 衛星には通信や気象観測など役割ごとに異なるミッション機器と、電力供給や地上との交信など基本機能を受け持つバス機器があります。自動車でいえば、バス機器はエンジンやボディーのように全てに共通して必要な部分。ミッション機器はオプション。いまはどちらも、衛星ごとのオーダーメイドですが、東大阪ではバス機器を標準化したいと考えています。つくりおきしておけば、コストも下がるからです。

 これら機器は最終的には東大阪の技術でつくるのが理想ですが、現時点では難しい。ですから宇宙航空研究開発機構(JAXA)や東大にも協力を求めています。宇宙開発は関西の大学でも手掛けていますが、主導権を握っているのは機構のあるつくば。関係機関から技術移転を受けて、東大阪に宇宙産業を根づかせていきたいと考えています。

 成功すれば、地場産業として定着するだけではありません。人工衛星をつくれる技術があるならこれもできるのでは、といろいろな話が舞い込んで来ます。例えばよく売れている安眠枕の素材は宇宙開発のなかで衝撃吸収材として生まれたものなのです。それだけ宇宙関連技術は裾野が広い。

 中小製造業はいままで黒衣に徹していましたが、表舞台に上がれるようにしていきたい。労働集約型から脱皮し、研究開発型の企業が連携を取り合う知的クラスターを形成しないとだめです。それには人づくりがカギになります。

 地元のおっちゃんからは「おかげさんでけっこう仕事が来てるねん」「息子が帰って来て一緒に頑張ることになった」という声も出てくるようになりました。ただ、受注単価は厳しいので、付加価値を高めなければなりません。衛星開発で得た技術を生かし、一つの分野ではどこにも負けないオンリーワン企業に成長していってほしい。

 現在、人工衛星は試作機が完成してつくばで振動検査を受けるなど、来年に迫った打ち上げに向けて順調に進捗しています。もちろん1発で終わる線香花火にはしたくないですね。長続きするためには広く一般の人からもご支援いただくと同時に、われわれも技術をバトンタッチできる若者をどんどん育てていかなければならない。実際、徐々にではありますが、若者が集まってきているわけですが、もっともっと必要です。

 社員が誇りを持って働ける会社に東大阪を発展させて地元に自信を
 若者が集まるには規模の大小ではなく、社員がプライドを持って働ける会社かどうかにつきます。そうした会社を目指さなければ成功はおぼつきません。会社に誇りを持ってくれる若手がいるからこそ、会社は育ち、成長し、伸びていくものです。

 手前味噌になりますが、私自身も社員がプライドを持って働ける会社にしようと決意し、おかげでボーイングの認定工場になれました。東大阪で製造しているプライドを持とう。そのために人工衛星打ち上げのプロジェクトにも挑戦しています。これを成功させることで東大阪を発展させ、地元の人にも自信を取り戻させたい。それが私の大きな夢です。